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背すじを伸ばしてケーキが食べたい

このあいだ、三か月ぶりくらいに一人で喫茶店に入りました。
七百円くらいの、ケーキセット。


お茶を飲んで、「ウマッ!」と叫ぶ感覚、すっかり忘れていました。
そろそろ紅茶で、「ウマッ!」もやりたい。


秋こそ、あたたかいお茶ですね。







喫茶店に入ると、自然と背すじが伸びます。

その空間の中で、美しい佇まいで居たいという願望と、
用意していただいた食事に感謝して、出来るだけ綺麗に食べたいという思いからです。

わたしは忘れっぽいので、食事を丁寧にいただくことで、感謝を思い出したいと思っています。



美しく食べるのは、食べ過ぎ防止のためにも。
今食べようとしているそれは、背すじを伸ばして食べられるものか。
自分のなかで、割と大きな基準です。




「胸を張って」ではなく、「背すじを伸ばして」なのは、
わたしには胸を張れることなど、何もない気がするからです。


もたらされた命を、胸を張って食べられるほど、人は偉くはないし、
食事以外でも、自分が一人で成し遂げたことなんて、なにひとつない気がしています。

与えられた業に、タイミングに、時間に、出会いに、乗っかって動いているだけのような気がします。

見えない流れに身をまかせて、自分の意志で動いているように思いながら、
向かうべき場所へ、そろそろと流れているだけのような。


それぞれの、決められた場所へ。





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こんな越え方


残しておきたい日記を二つ。



7月某日 緑の中にて



この場所で、生まれてきたことを懺悔(ざんげ)する

草を踏み、汚しながらしか生きられないこと

誰かのせいにして、死ねもしないこと

死んでも汚してしまうこと



生まれた事を懺悔して歌う 草を踏みながら

そうして、

同じように生きる緑の 

声を聴き、なだめて安心する



呼吸していると言われてる

それは、どれ程の早さで 

どうやってここで生きるの?

同じ涙、同じ笑顔だけに安らいでいる間

ずっといたら体が冷えてしまう



ふれた手のひらに同じものを感じる 裸の体だけに同じものを感じる

生まれる前 いいえ、死んだあとも

同じひとつを繰り返す私を

ずっと時を一緒に生きたもの

全てを見ようなんて思わない

私が日常に帰るあとも ここに、呼吸し続ける

同じ時を生きる 違う速さで、じっと



軽率に扱う私たちを じっと見て 違う流れの中

同じ時を生きてる

歌を歌い 足を動かし


人が呼吸する間も





8月某日




起こるはずだった奇跡が、またひとつ消える

ひとつずつ、小さな日常から

わたしが踏み出さなかったから


どんな強さでも わたしが歌えば、きっと弱さも混ざるはず

その色を好きと言ってくれたら、

うそ、そんなこと望まない



優しいものしかいらない

優しいものしか食べたくない


意味なんてない 探してる時点でない



優しいものだけ、

いらない いらない

ください、優しくないからいらない

優しいものだけください、

あいにきて、会いたい会いたい、すきよ


ずっと一緒にいてほしい

なんで現れたのにみんな、いなくなるの 瞬間でおわるの

いやだいやだ、一緒にいて

みんな全部、わたしと一緒にいて

ずっと一緒にいてほしい



永遠なんてね、本当はずっとほしい

ずっと終わらないでほしい

ずっと笑っていたい

ずっと一緒にいて、ずっと笑っていてほしい



本当は好きだった、きらいと言いながら

好きだから離れたくなくて、離れられなかった

今日が終わったら これが済んだらと

いつでも離れられたのに

離れないのは 好きだったから



好きだから始めてた

今も好きだから、やめられなかった

生きることが大好きだ

好きなことをもっと、あなただけじゃなくて

大丈夫、あなたを忘れても越えても

失くならないように出来ている だって過去だから



本当は思ってる

あなたがいたから、ここまで来れた

あなたがいたから、描けた絵だ どれも

だから壊すなんてできない 壊すなんて違うんだ、本当は

一緒に行こう

もう君を背負えるだけの力があるよ、


でも手をつなごう

一緒に歩こう

怖がらないで、一緒に立てる

君はもう 一人で立てるんだ



隠してるんじゃない、まだ知らないだけ

知りに行こう

見に行こう

やがて僕なんか いなくても平気と

大丈夫と言われる日が、来るんだ

今度は僕が、

ありがとうと言われる日が 来るんだ、


すきだよ




〇 〇 〇 〇




二番目の日記の絵を、今描いています。


わたしは何でも人格を持たせて、会話をしてしまうようなので、

空も夜も夕方も、緑も、描いている絵の人物も、感情のひとつひとつにも、

やってくる感覚を、言語に置き換えて、

そうすると、それらが人格を持っているようで、一人で会話を楽しんでいます。


自己分析したいときは、自分の感情に話しかけたり、
知らないところから飛んできた言葉は、のちに繰り返しかける言葉の断片だったり。


二番目の日記の内容は、越えたと思っていた過去が、実は越え方を間違えていて、
無理やり押さえつけたために、なんだか子供を一人殺したような気持ちになっていて、越えたはずなのに彼女の存在をずっと感じていて、
最近、やっと上手くいく方法を見つけ出して、まぁそれも感覚的なのでうまく説明できないのですが、
ようやく彼女と手をつないで、明るいところへ行ける気がして、

あぁ、ここを解決しなければ、やっぱり行けなかったんだなぁ、
我慢して無理やり押さえつけるだけじゃないよなぁ、
いてくれてありがとう、一緒に越えてくれてありがとう、という状態です。


彼女もわたしも、笑顔になれる越え方をようやく見つけたので、今のじぶんと切り離して、
いつ陥るか分からない、不安の延長線上じゃなく過去として、ようやく見ることが出来ました。
解決策を見つけたからといって、一日や二日で、上手くいく問題じゃないと分かっているけれど、

この感覚を忘れなければ、きっと大丈夫。




絵に描き起こしています。

絵の中でも、笑ってくれたらいいなぁ。






皆様、よい夏の終わりを。